アフリカ起業人ブログ運営者の原田翔太です。
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日本食堂「和心」はこちら→日本食堂「和心」japanese restaurant 「wagokoro」
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1987年千葉県出身。
大学受験を途中で放棄し高校卒業後、18歳の時にマザーテレサに憧れてインドのカルカッタにある「マザーハウス」へ。
1ヶ月間ボランティアとしてマザーハウスで働く。
その後インド国内やネパールを4ヶ月旅して廻る。
初めての海外がこのような素晴らしい体験だったため、帰国後も海外での生活を繰り返し、アメリカ、インド、セネガルに住む。
◇初めてのアフリカ、初めてのセネガル
僕が初めてセネガルを訪れたのは2010年の秋、23歳の時でした。
日本で知り合ったセネガル人の家へ、半ば無理やり連れていってもらいました。
アフリカには昔からなんとなく興味がありましたが「いつか行ってみたいな~。」という程度のものでした。
セネガルに着き、驚いたことが沢山あります。
まず、家族が多い!
友人家庭は総勢20人程の家族で、とてもじゃなけどすぐに名前は覚えられない(笑)
冷蔵庫やエアコン等の家電がなく、停電や断水もしょっちゅう。
町中を歩いていても、物乞いやホームレスがほとんどいないことにも驚きました。
「アフリカ=貧困」
「アフリカ=危険」
「アフリカ=お腹がポッコリと出ている栄養失調の子供」
そういった光景にはほとんど出会いませんでした。
ただ、彼らから話を聞いてみると、食べるものがない程ではないけれど、やはりお金には困っているようでした。
「買いたいものがあっても買えない。行きたいところにも行けない。」と。
彼らは働く意欲があってもなかなか働くチャンスがない。
僕はこの時にただ漠然と「いつかこんな人たちと一緒に仕事をしてみたい。」と思いました。
しかし、この時何もできなかった僕は1ヶ月後に日本へ帰国しました。
その後はセネガルの事は忘れたり思い出したりしながら、日本で普通に生活していました。
ある時はインドで1年間働いたりもしました。
そうこうしている内に「自分でも何かできるのではないか?」と思い始め、「まずはとりあえずセネガルへ行ってみて何かをしてみよう!」と思いました。
妻と結婚をして3ヶ月後の事でした。
◇2回目のセネガル~やることがなくて途方に暮れる~
僕はセネガルで何か仕事のキッカケを見つけなければならないと、首都ダカールの街を当てもなく歩き廻っていました。
その中で自分が始めた事業は「アフリカホームステイ」と「ポテトチップスの製造・販売」です。
まず、アフリカホームステイは日本からアフリカ家庭にホームステイをしたい方へ、ホームステイの仲介・サポートをするサービスです。
これは僕が実際にセネガルでホームステイをした際に素晴らしい経験ができたことから始めようと思いました。
ポテトチップスの製造・販売は、自宅のキッチンでポテトチップスを作り、パッキングをして、売店に置いてもらえるよう営業に行きました。
この時に初めて、日本円以外での現金収入を得たことが本当に嬉しかったのを覚えています。
しかし、それでは妻子を養えるほどの収入は到底見込めません。(僕が出発後すぐに妻が妊娠しているとわかりました。)
「どうしよう。。。これではセネガルで何もできないじゃないか。」
そんなことばかり考えていました。
◇西アフリカ10カ国周遊の旅へ
自分の中で「そもそも何でセネガルなんだろう?たまたま最初に来た国のだけで、他のアフリカの国々の事を自分は何も知らないな。」と思い、西アフリカ視察の旅に出掛けました。
その国の事をよく知るために、西アフリカ10カ国を全て陸路で廻りました。
西アフリカの行く国々では、どの国の方たちも本当に気さくで、良い人達ばかりでした。
その中でも特に、ギニア、シエラレオネ、リベリアでは現地の方の家にホームステイさせてもらい、特に印象に残っています。
しかし、実際に10カ国廻ってみてセネガルに帰ってくると「やはりセネガルがいい!」「自分はセネガルでやる!」と確信しました。
なぜ、セネガルがいいと思ったのか、明確な理由があるわけではありません。
しかし実際に他の西アフリカの国々を廻ってみて「やはりセネガルが一番肌に合うな。」と思ったのです。
以前は「他のアフリカの国の方がいいのでは?」と思うことも正直ありましたが、今では「絶対セネガルでやる!」と思っています。
それはやはり、自分の目で西アフリカの国々を見れたからだと思います。
それがこの旅での一番の収穫でした。
西アフリカの旅からセネガルに戻った後すぐに、子供の出産に立ち会う為に日本に戻りました。
「また、絶対に戻ってくる。今度こそ。」という気持ちがとにかく強かったです。
◇3度目の正直 日本食堂「和心」開業へ
そして、今回は3回目のセネガルになります。
前からやってみたいと思っていた、日本食料理屋をダカールで開こうと思いました。
思い立ったらすぐに行動!ということで、
すぐに東京の複数の飲食店で働き、中目黒の焼きとり屋さんでは特別に5ヶ月間みっちりと修行をさせていただきました。
今回は日本から仲間が2人立ち上げから一緒に和心の開業を手伝いにきてくれます。
まだ開店すらしてない店なのに、協力してくれる仲間は本当に心強いです。
そして、妻と1歳になる息子もセネガルで生活を共にします。
5年前は1人でしたが、やっと輪が大きくなってきました。
また、クラウドファウンディングを通じて、総勢83人の方々から合計541,500円のご支援をいただきました。
皆様からのご支援は僕達にとって、もの凄い自信になりました。
ご支援を頂いた方への恩返しは、日本食堂「和心」成功しかないと思っています。
日本食堂「和心」の成功とは、ただ飲食店として儲けるだけではありません。
まずはセネガル現地に根付いた日本食堂として、将来的には農業ビジネスへの参入も視野に入れています。
和心、農業を通じて様々な方々に関わり合い、そして日本食堂「和心」はそんな方たちへの憩いの場になればと思っております。
【未来の予定】
・日本食堂「和心」をダカールにオープン
・農業ビジネス参入
・漁業ビジネス参入
・アフリカで作られたの製品を日本を含め世界中に展開。
・現地のアフリカ人、日本人、他の国の人達と、未来の市場を開拓。
・「アフリカから世界的企業へ。」を目指す。
・子ども3人(あと2人)
・英語、フランス語を話せるようになる。(今はほぼ日本語しか話せない。)
・ボーナスをもらう側ではなく、あげる側になる。
やりたい事は日々変わっていくかもしれませんが、一番真ん中にある「アフリカの人達と何かできたら楽しそう」っていうのは今後も変わる気がしません。
今はとにかく日本食堂「和心」をアフリカで一番日本を感じられる空間にすることを目指しています。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
こちらで情報発信をさせていただきますので、よろしくお願い致します。
原田翔太
(2015年4月9改訂)
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