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西アフリカの旅第一回からはこちら→西アフリカ横断の旅38日間
前回の記事はこちら→「TIA」の国シエラレオネで「オカダ」に乗ってリベリアビザ申請 【旅8日目】
昨夜ギニアからシエラレオネに着いた。
朝起きて、バイクタクシー「オカダ」でリベリア大使館に向かう。
無事にリベリアビザを取れ、これでいつでもリベリアに行く事ができる。
でも、シエラレオネ気に入っちゃったからもう少しシエラレオネにいようかな。
シエラレオネの事について調べようと思いネットカフェに行ってみたら、弟からfacebookでメッセージが入っていた。
「シエラレオネにいるならマトゥルジョングに行ってみてよ!イシメール・ベアが産まれた村だよ。」
弟よ。なんて有益な情報を与えてくれるのだ。
「よし、マトゥルジョング村に行こう。」
あのイシメール・ベアが産まれた村。
あの本に書いてあった反政府軍が襲ってきた村。
そう思うと楽しみで仕方がない。
僕は2日後にマトゥルジョングに行く事に決めた。
一度宿に帰り、荷造りをして、今日泊めてもらうイブラヒムのいる国立博物館に行く事にした。
その途中、お土産屋さんで買い物をしたり、
お土産屋さんは結構楽しませてもらった。
国立博物館の向かいに、また違った博物館があったから行ってみた。
ここでもガイドの兄ちゃんが付いてくれた。
ここは主にダイヤモンド戦争についての博物館らしい。
シエラレオネの地図。この国土の約3分の2が反政府軍「RUF」に支配されていたという。
ここにシエラレオネ戦争で亡くなった人達の名前が書いてある。
ガイドの兄ちゃんのお兄さんもシエラレオネ戦争で亡くなったのだそう。
シエラレオネでは彼のように親戚が戦争で亡くなったという話を本人から直接聞く機会がもの凄く多かった。
ガイドの彼も「シエラレオネ人からしたら普通のことなんだよ。」と言っていた。
なんかいたたまれない気持ちになる。。。
ガイドの兄ちゃんにお礼を言って昨日約束したイブラヒムのいる博物館に行った。
既にイブラヒムは待っていてくれて、ここからシエラレオネの乗り合いタクシー「プラプラ」で家まで行くという。
すると途中で目を疑うような光景に出会った。
よく見ると、そこら中の壁に銃弾の痕がある。
イブラヒムに聞くと、「そりゃそうだよ、戦争があったんだから」と苦笑いしながら言っていた。
これではまるで本当に映画のようじゃないか?
シエラレオネにはまだまだ想像出来ない世界が広がっている。
プラプラに乗ってイブラヒムの家の近くまで来ると、途中に寄りたい所があるという。
どこに寄るのかな〜。と思っていたら、何やらジュースを飲もうとのことだった。
そのジュースがこちら!
「お、これは知ってるぞ!「パームワイン」でしょ?」
「そうだよ、よく知ってるね!」
「ブラッドダイヤモンド(映画)でみたからね(笑)」
「美味しいよ。飲んでみな!」
じゃあ、ちょっと一口。。。
ゴクゴク・・・・ゴクゴクゴク・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ま、不味い。
不味過ぎる(笑)
「イブラヒム!よくこんなの呑めるな!」
「やれやれ、これだから日本人は(笑)」
彼はこの(不味い)パームワインを一瞬で飲み干し、イブラヒムの家に向かう。
家は小高い丘の上にあるらしい。
泊めてもらった家のリピング。間取りは2DKでトイレバス共同。イブラヒムはお母さんと7才の娘と3人で一緒に暮らしているという。
彼はお酒を飲むと聞いていたから外にビールを飲みに誘った。
するとどうやらお勧めの店があるらしくそこに連れて行ってもらった。
そこで色々とシエラレオネの話を聞いてみた。
「イブラヒムは戦争の時はどこにいたの?」
「フリータウンにいたよ。あの時はみんなで政府軍のある地域まで避難してたんだ。」
「国民全員が難民になったっていうのは本当なの?」
「本当だよ。本当にみんな避難したんだ。」
「でも今では大丈夫なんでしょ?」
「危ないとかそういうのは問題ないよ。RUL(反政府軍)もなくなったし。ただ、、、」
「ただ?」
「仕事がないんだ。僕だって今は国立博物館に雇われてて本当だったら給料も2万円ぐらい毎月貰えるはずなんだけど、もう半年も給料が出てない。」
「半年も!?」
「そうだよ。だから辞めていく人もいる。」
「じゃあみんなどうやって生活していくの?」
「海外に行ったり、自分で店を出したり。ただ、それはお金がある人しか出来ないよね。あとの人は本当にひもじい思いをしながら生活しているんだ。」
「戦争が終わって平和にはなったけど、シエラレオネはまだまだ貧しいんだよ。それに比べて日本はすごいな〜。アメリカと戦争してから一気に経済成長したよね。」
「よく知ってるね。」
「そりゃ知ってるよ。そういえば日本はサッカーも強いよね。」
「いや、サッカーはそこまで強くないでしょ(笑)」
「でも、ナカムラとかナカタは日本人でしょ?あとカガワとかホンダも。」
「よく知ってるね!」
「シエラレオネでもサッカーは大人気だからね!いいなぁ〜僕もいつか日本に行ってみたいな〜。」
他にもここには書ききれない位沢山話をすることが出来た。
話をしていく中で、「自分がどうしてアフリカで起業をしたいのか?」ということを改めて思い出していた。
アフリカって(全ての国がそうではないけど)、多くの日本人が思っているような貧しさではないと思う。
食べる者がなくてやせ細っていって餓死するとか少なくともイメージには掛け離れている。
「世界最貧国」なんて言葉が少し前に流行ったけど、それは国連が国民総所得を計算して、ある金額に満たないと「世界最貧国」に分類されるだけ。
シエラレオネはこの最貧国の中でも貧しい部類には入っているけど、実際に来てみるとそのイメージとは全く違う。
でも仕事がない、学校に通えないとか、イブラヒムの様に仕事はあるのに給料が払われないとか、そういうことで買いたい物が買えなかったり、将来に対する不安があったりする。
なんかそれって少なからず日本もそういう不安はあるし、日本も最貧国もある種同じだと思った。
その為にはやっぱりアフリカで会社を立ち上げて、やるしかない。
「なんで自分はそんなことをやってみたいんだろう?」って思ったけど、結局はそれが「楽しそうだから。」なんだと思う。
仕事がなくて、仕事をしたい人と一緒に仕事をするのが楽しそうだから。
社員の周りにいる沢山の家族が嬉しそうな顔を見るのが楽しそうだから。
別に人助けをしたいわけじゃない。
それが楽しそうだからやるだけなんだ。と思う。
今回、シエラレオネという世界でも本当に貧しい国に入る部類の国に来れて本当に良かった。
そんな国でもこうして異国の友達と笑顔で楽しくビールを飲みながら将来の夢を語り合う事ができるんだ。ということがわかったから。
世界は思っているよりも悲観的じゃない。
日本ではリスクがどうとか、言われてるけどなんかそんなの本当にどうでもいい。
僕たち日本人はほとんどの人が海外でもどこにでも行ける自由があって、別に何かに失敗したからといって死ぬ訳じゃない。
例えこのシエラレオネで身ぐるみ剥がされて全財産盗まれたとしても、きっとすぐに日本に連絡してお金を送ってもらって、そのお金で航空券を買って1週間後には温かいお風呂に入って、ご飯でも食べながら身ぐるみ剥がされたことを笑い話にでもしているんだろう。
人生は最高に贅沢の暇つぶしだ。
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